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Posted by みやchan運営事務局 at

2008年12月10日

愛おしい時間

気がつけば…(って最近いろいろ気が付き過ぎ?師走とか)1歳と1ヶ月を過ぎもうすぐ1歳2か月になろうとしている我が家の娘。
あえて遅く始めた離乳食。
今ではすっかり同じ月齢の子に追いついて…いや追い越してるんじゃないか?な勢いで毎日ご飯をモリモリ食べてくれます。


手を胸の前で合わせて

『いただきます』


大好物は人参さん。
パクッと食べてもぐもぐしたら人差し指をほっぺにつけてクリクリ美味しい(BVONO!!)のサイン。
ご飯を大人の茶碗で1/3~半膳とお野菜を平らげ


『よく食べたね~~、ごちそうさま。』


と私が御馳走様を促してもまだ足りないと泣いて抗議する始末。




こんな毎日の、今の私にとって当り前の時間。

最近、この時間がとても愛おしい。

娘の顔を覗き込みながら、スプーンやお箸でご飯を食べさせる。
私の膝にはモコがいて、ご飯を頬張りながら満面の笑みを浮かべるrino。



突然泣き出したり、ご飯いらないってしたりもするけれど、片づけても片づけても本やカードを出して『もういい加減にして~~』って思うこともあるけれど、日々娘の成長を見守る時間は本当に素敵な時間。






ここ最近、ずっと考えている事がある。
生と死



この1年。
娘を産んで新しい命の誕生を、驚くほどの成長を目の当たりにして、
その裏に必ず死というものがある事を感じるようになった。



生まれてくるんだもん。
だから人は死ぬ。






この1ヶ月で一番大きかった事…と言っていいだろう、たぶん。他にも色々あったけど…





祖母が他界した。



たいしておばあちゃん子って訳でもなかった私。
しかも今時珍しく…母の実家は敷居の高いお家だったので、近年さほど寄り付くこともなく過ごしてきた。
それでも祖母は祖母。


私にとって血の繋がる最後の祖父母。




10月の頭に体調を崩し入院した時にお医者様からそう長くないことを告げられた伯父に集合をかけられ母があわてて見舞った時、
4人部屋の病室で無言で目と顔を動かししきりに隣をさして、最後に小さな声で

『うるさい』


と、言った祖母。
どうやら同室で隣のベッドに居る患者さんがおしゃべりでうるさかったらしい。


確かに体は弱っているけれど、まだ茶目っ気たっぷりにそんな事が言えるのだから慌てなくていいからね。


母の言葉で1週間後(旅割7を使うため)静岡に戻り、敷居の高い家の敷居をくぐって祖母を見舞った時(祖母は病院から退院し、自宅療養に入っていた)、残念ながら祖母はもう口をきける状態ではなかった。


そこに居たのはまるで別人のような祖母だった。
ふっくらしていた頬は痩せこけて、これまで見たこともない鼻筋が通って。


『ばあば、mikiだよ。rinoと一緒に帰って来たで』

そう、祖母の顔を覗き込み声をかけると、
ゆっくり、ゆっくりこちらに顔を向け、じーーーーーっと私の顔を見る。
こちらが恥ずかしくなる程にじーーーーーっと私の顔を見る。


とても孫娘が会いにきたとすぐに理解出来ている様子ではない。



一足遅かった。



最後に話したい事はあった。
聞いてみたい事もあった。


祖母は癌だった。
伯父夫婦はそれを祖母に隠していたが、きっと本人は気が付いていたと思う。
以前辛い治療を続けたが、今度はもう嫌だと言ったらしい。


だから、きっと心のどこかで死を受け入れていた気が私にはしてならず。
だから、聞いてみたかった。
死を待つ心境を。


84歳。
十分生き抜いた祖母だから、静かにその日を待っている。
愛した夫と、18歳の若さで逝ってしまった息子のもとにいくことをどんな気持ちで待っているのか。

いつか自分にも訪れるその日のためにも。


気位が高く、最後の最後まで毅然と生きてきた祖母だから聞けば話してくれる気がしていたのに。




でも、だから良かったのかもしれない。
死に行く人にどんな心境かなんて聞くもんじゃないのかもしれないから、祖母がもう話せなくて、良かったのかもしれない。




寝たきりの祖母の周りをrinoを含め祖母のひ孫がキャーキャー声を上げながら遊んでいる。
そんな声が聞こえるとまずは視線を、そしてゆっくり顔をそちらに向ける。



私の顔を見た時も、子供たちの声に反応した時も、
きっとゆっくりゆっくり頭を働かせ、この子は誰かしら?この声は誰かしら?と考えていたに違いない。



10月に見舞った時、ほとんど読み取れない表情の中1度なんとなく祖母が私を理解したような時があった。

『あらmikiちゃん、来てくれたの?』


東京で育った祖母は遠州弁を話さない。
お嬢様育ちであの時代でもきっちり女学校を卒業した祖母は『ごめんあそばせ』の世界に生きる人だ(って従姉妹がよく言う)


意識が混濁した状態でもふと…でもまだとても浅いレベルでだけれど…私に気がついた時、祖母はやっぱり気位の高さを眼の奥に光らせた。
大丈夫よ私は、わざわざ遠い所からありがとね。
と思ったのか、それとも私が宮崎に居ることまでは思い出せていないのかもしれないが、
あらあら心配しないで。
そんな目をした。



そんな気位の高い祖母だから、最後の1ヶ月半は辛かったのではないかと思う。
もちろん、長年住み慣れた家に居れることは嬉しいだろうけど、
反面、ひとりで何も出来なくなってしまったのだから。



すべてを他人にゆだね(他人と言ってももちろん家族だが)痛みを訴える事も、不快感を訴える事も、なかなか出来ず、
食べ物はおろか飲み物さえも口にする事が出来ず、常に点滴を打ち、下の世話もしてもらい。



一度辛そうだったので

『ばあば、大丈夫?痛い?』

と聞いたことがあった。



祖母はゆっくりゆっくり顔をしかめ辛そうな表情を作りながらも『大丈夫よ』と言っている気がした。




全てがゆっくりながらも、言葉を話す事が出来なくなっていても祖母の意識はしっかりしているように思えた。
頭の中ではすべて理解している気がした。
もちろん完全に思考が停止している時は無理でも少しでも『解っている』時は全てが解っているような気がした。

解っているだけに辛いんじゃないかと思った。




滞在中何度か見舞いに行ったが、rinoに反応を示した。
2度rinoに手を伸ばした。
それだけが祖母から積極的に起こしたアクションだった。



私は祖母にとって3番目の孫で初めての女の子の孫だった。
男4人、女4人。
6学年の中に8人の孫たちがひしめき合っている。
私が生まれた時祖母は50歳。
今考えるとなんて若いおばあちゃんなんだろう。
初めての女の子の孫といっても、初孫誕生から10か月、その間にもう一人居てその後も次々とだから
祖母にとって私はさほど印象に残る孫でもなく、もちろん無視する存在では無いが、まあその他大勢っといったところか。


まぁ、そんな感じなのをいい事に私もおばあちゃん孝行など一切しない孫だったのだけどさ…。


けれど、最後に祖母を見舞えて良かった。
話すことは出来なかったけれど。
手を握り、祖母のぬくもりを感じることが出来て。
ひ孫を見せる事が出来て。



祖母の手を握りながら、以前の面影の残らない祖母の顔を見ながら、
遠い昔の事を思い出した。


免許を持たない祖母はバスで買い物に出かけた。
孫たちを連れて出かけることもあった。

当時、まだ賑わいを見せていた駅前商店街。
玉華堂という老舗の洋菓子屋の中二階の喫茶コーナー。
祖母に教えてもらったクレープ屋さん。
カステラ入りのクレープは未だに私の中でNo1のクレープだ。
バスの乗り換えをする駅前公園のクスノキ。
世界で一番大きな木だとずっと思っていた。


思い出せばあるものだ。


手を握りながら。
思い出す。

手を握りながら。
心の中で話しかける。


言いたい事は…山ほどあった。



でも

どうでもよくなった。



rinoが生まれていて良かった。


祖母が居なければ、私ももちろん、rinoも居ない。
なんか、凄い事に思えた。




祖母を見送って…。



あの日、手を握っていたあの時間、そしてかつてあったクレープを頬ばった時間、どちらもとても愛おしい時間だった。




祖母がいて、母が生まれて、私が生まれて、rinoが居る。



今日も、ご飯を食べながら大泣きしたrino。
大好きな人参を口に入れられて機嫌を直したrino。


今はうんざりするほど当り前の時間もいつか懐かしむ日が来る。
大切に過ごしていかないと。


懸命に生きていかないと。
  


Posted by miki at 23:15Comments(3)今日のrino