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Posted by みやchan運営事務局 at

2007年11月02日

世界一ブサイクなママ

その日は朝から何人もの看護士(助産士)さんが入れ替わり立ち代り私の元にやってきた。
9時半から始まる手術の準備の為だ。


採血、検温、血圧、胎児の心音、点滴…。

『mikiさん、朝早くからごめんね~~』
カーテンを開きながら看護士さんが私に声をかける。


『大丈夫です。』

時計を見ると6時過ぎと言った時間。
早起き?
って言うより殆ど寝れなかった。
とうとう、rinoに会う日を迎える。
そう思うと、まるで独身最後の夜のような心境だった。


本当の独身最後の夜よりドキドキしたかもしれない。
だって、結婚はやり直す事が出来るもの、rinoは産んじゃったら死ぬまでrinoのママ。
やっぱりや~めた!とはいかない。
たとえどんな子が産まれようとも私はその子を引き受けなければならない。

そう思うと期待と不安で寝付けない。


4人部屋の病室にその日入院していたのは私ともう1人。
窓際の向かいのベッドに寝ている彼女も私と同じ日にお腹のベイビーと対面する。


前日
『子供が生まれる日が決まってるなんて、何だか変な気分ですよね』
そう声をかけてきた彼女。
全くだ。子供が生まれる日が、いやそれどころか大まかな時間まで解かっている。
私は午前中、彼女は午後。

どうやら彼女も寝付けない様子。


仰向けになりお腹に手をやる。
頭の位置は相変わらず右のアバラの辺りにあって、もはやひっくり返る事は期待できない。
明日お腹の中からrinoが居なくなるなんて。
10時頃にはあなたの顔をママは見る事が出来るんだね。


そんな事をまだ見ぬ我が子に語りかけながら過ごした。
気が付くと、窓の外は綺麗な朝焼けだった。



去年、母が乳癌の手術を受けた時、
点滴を片手に歩いて手術室に向かった母。

そんな母を見送りながら、手術をするのに歩いて行くなんて!!私なら無理ッ

って、思ったのに。
だって、体にメスを入れるのよ?ストレッチャーで無理くり連れてかれてじゃなきゃ怖くてとてもじゃないけど…。


って、思ったのに。

10月16日午前9時半。
自らの足で手術室に向かった私。


後で、母にmikiちゃんよく歩いて手術室に行ったよねって言われたけど…。
あんたもね。って突っ込んだ(-"-;A ...




手術室に入り、あまり記憶は無いがおそらく自分で手術台に上がり、
着物を脱がされ、タオルなどを巻きつけられ、右を下にして横になる。
背中に麻酔を打つのだ。

『ちょっと痛いけど動かないでね。』

もちろん!動くものかと構える。
と、言うのもこの半身麻酔、以前盲腸の手術の時にあまりの痛さに背中をのけぞらせ、2度も注射する羽目になったのだ。

そう言えば、今回私が出産した病院は、私が生まれた病院でもあり、盲腸の手術をした病院でもある。


どうにか一度の注射で済み、その後、背中に点滴、またその他の麻酔を何本か打たれるが、
注射する部分に麻酔が効いている為、後は何をどう打たれようが解からない。


麻酔が効いてくると(ちなみになかなか麻酔が効かずここで長い時間を要した)両手を固定され、両足もマッサージ器を取り付けた上で固定された。
目の前には青いシーツのようなもので目隠しされ、もはやまな板の上の鯉とはこの事か!
といった状態になった。
後はもう、先生にお任せするしかない。
rinoを産む為に私にできる事は全てした。



これ以降の事は詳細にここに書き記すのは止めておこう。


私が何か違和感を感じ、『うう~』とか、『あぁ~』とか言う度に、
私の頭上に控える綺麗な看護士さん(もしくは助産士さん)が、『どうしました?』『気分が悪いですか?』
と声をかけてくれた。

『大丈夫です。』と、必死に応えるも、
目の前に青いシーツだけが広がる中、彼女の声かけは何かとても救われる思いだった。


『rino、頑張れ、頑張れ』
そうつぶやく事しか出来ず、それでも必死に頑張れ、頑張れと言い続けた。
一緒になって看護士さんも頑張れと応援してくれる。


暫くすると、『もう、体が出たよ』看護士さんの声に、

そうか、帝王切開でも体が出たよ、足が出たよって言うんだ~~。
ぼんやりそんな事を思った。


『出た~~。生まれたよ』

何人かの声が響き、rinoが私のお腹から完全に出てきた事が解かった。
とは言え、相変わらず目の前は青いシーツが広がるだけの景色。

暫くして(私としては1分はあったんじゃないかと思えるほど長い時間に感じたが)rinoの産声が手術室に響き渡る。


本当は、理想は、薄暗い部屋の中自然の流れに身を任せて産みたかった。
産んで暫くはへその緒を切らず、rinoを抱きしめ、ゆっくり、ゆっくり肺呼吸をさせてやりたかった。
へその緒の拍動があるうちは初めての肺呼吸を助ける為にもへその緒からも酸素を送ってあげたかった。
そうして、ゆっくり生まれてゆっくり呼吸を始める環境にある赤ちゃんは激しく泣く事は無いと聞く。


でも、今回はそうも言っていられない。
素早くへその緒を切り私のお腹を閉じなければならない。
となれば、足の裏を叩いてでも泣いてもらわなければならない。


それに泣いてくれないと青いシーツしか見えない私にはrinoが元気なのかどうなのかも解からないのだ。



『ふぎゃ~~』

想像していた赤ちゃんの鳴き声とは全く違う、聞いた事の無いような
それはそれは可愛い泣き声…と言うよりは可愛い音が響き渡った。



これが、rinoの声?
初めて聞く娘の声。
自然と涙が溢れる。


早く顔を見たい。どんな顔をしているの?
ママに似ているかしら?それともパパ似?

助産士さんに綺麗に拭かれタオルに包まれ私の顔のところにやってきたrino。



あ~~、じいじ(お義父さん)そっくりだぁ~~。

この時だけは右手のベルトを外してもらい生まれたてのrinoの頬を触る事が出来た。
とは言え、両足にはエコノミー症候群防止のマッサージ器が、左手には点滴と心電図(と思われる)が、右手には血圧計、おまけに背中にも点滴。
体のあちこちから管が出ているママ。


子供を産んだ時の妻ほど綺麗な妻は無かった。
なんて話をよく聞くが…。
とても、綺麗なママとはいかなかった。




つかの間の触れ合いを終え、rinoはハラハラドキドキ、
手に汗をかいて待ち構えている母の…いいえ、ばあばの元へ。




母が携帯で生まれたてのrinoを撮影カメラピカピカ



その頃私と言えば…。
後は傷口を子宮と皮膚、縫い合わせるだけと言う事で、先生がたは車の話をしながら縫合。
オイオイ、そんな話しながら縫うのかよッ(x_x) ☆\( ̄  ̄*)バシッ
突っ込みを入れたいような、
出産と言う(と言っても人任せだが)大役を終え、気が抜けた私にとってはいい気晴らしになる会話だったと言うか。


不思議とお腹が空になり、しぼんでいくのを感じながら後処理の時間を過ごした。





次にrinoと対面できたのはrinoが泣いた夜7時頃だった。
相変わらず体のあちこちに管をつけた私。
出る気配のないおっぱいをとにかくrinoの口に含ませる為だった。



助産士さんが病室に来て今から赤ちゃんを連れてきますね。と声をかけてくれると、
私は急いでどうにか動く手でベッドの周りを整える。
胸が高鳴り、それはまるで恋人と久々の再会をするかのような、そんな心境だった。






もちろん、おっぱいなんて出るわけが無く、
それでもつかの間ではあったものの初めて娘をこの胸に抱きしめる事の出来た夢のような時間だった。


たまたま、調度いいタイミングでやってきた弟夫婦が、写真とビデオにその時の姿を残してくれた。
その時には気が付かなかったのだが…。


そこに映った私は顔が真っ赤に腫れ上がり毛穴と言う毛穴が開ききっていた。
この症状は2・3日後もっと酷くなりそれは体全身に広がるのだが、
どうやら薬(抗生物質か、子宮収縮剤かなにか)に反応してしまったようだ。
お陰で、ビデオも写真も感動的な絵になるどころか、ブサイクな私で一杯だった。  


Posted by miki at 13:50Comments(15)出産